プロフィールを見に来てくださってありがとうございます。
このブログを運営しているのは誰?というあなたのために、自己紹介をさせて貰います。
目次
基本情報
名前:Dash
海外に行ったことがある人は知っているかもしれませんが、発音のしやすさ・覚えてもらいやすいという理由で、イングリッシュネームを付けることがよくあります。
本名はTadashi。「タディーシー」と外人っぽい発音で呼ばれるのと、何回もスペルを説明するのが嫌でイングリッシュネームをつけることに。
「taDASHi」から「Dash」にしました。我ながらわりと上手くつけられたと満足。
実際はDashという人名はほとんど無いようで、一度言っただけでは聴き取ってもらえません。Pash?Nash?とかよく間違われて結構面倒です。走るジェスチャーをしながら説明するとよくわかってもらます。
出身地:大阪
ソースと粉モンを愛する関西人。ネイティブの大阪弁話者。バイト経験から、旨いお好み焼きを焼ける。もちろんお好み焼きはご飯のおかず。
石川県にも住んでいたことがあり、数年に一度友達に会いに訪れます。いい町で育ったなと思っています。
好きな漫画:銀魂、宇宙兄弟
大好きな漫画。かなり影響を受けて、想いを貫くこと、新しいことにチャレンジすることを学んだ。漫画の名言が何度も記事中に現れている。
好きなゲーム:マインクラフト
何千時間を費やしたかわからないほどハマったゲーム。オーストラリアの大学を終わるころにゲームを始める。ちょうどビザを申請しなければいけない時期だったのに一日中ゲームをしてた。このおかげで永住権申請が遅くなり、危うく強制帰国させられるところまで追い込まれました。
最近ハマっていること:自家製のちょっと手の込んだ料理
美味しいご飯は自分で作るしかない。
社会人がオーストラリア留学をしようと思ったきっかけ
社会人で知らない土地で1から生活を始めるのは大変なことです。
でもボクの場合、仕事をしていたから留学したくなったんだと思います。
看護師として病院で働いていましたが、日本で働くことに嫌気がさしていました。
そしこのような経験からどんどんヤラれていきました。
そんなときテレビでオーストラリアのハミルトン島の管理人になるというニュースを見ました。


こんなきれいな場所で働けて給料までもらえるて最高やん!
募集要項を見ると、自己PRをYouTubeにアップするというような課題がありました。もちろん英語もまったく話せなかったし人に自慢できるような特技もなかったので、その時点では諦めました。
しかし、その頃から海外移住という考えが自分の中に芽生え始めたのを今でも強く思い出します。2009年ごろの話です。
長年あこがれていた訳でもないし、海外移住のために英語を勉強していた訳でもない。それでも現状を変えるために、やりたいと思ったことはやってみることにしました。
海外移住してまで看護師をしようと思った理由
高校生の時に放送されていた、TOKIOの松岡さんが主演のナースマンというドラマ。に出ていたモーニング娘のなっち。
彼女は心疾患を患っており手を挙げると指先が冷たくなるとのこと。
「ボクが手を握って温めてあげよう」と看護師になりました。
実際には「どんな場所でも働ける仕事がいいのではないか」という打算的な部分はかなりありました。
日本の看護師さんの多くが「人のために…患者様が…」ということを口にしているのをよく耳にしますが、そのような高尚な動機は残念ながらありません。
オーストラリアでも看護師を続けようと思った理由は、
- 他に選択肢を知らなかった
- 看護師ならそれなりに生活していける
- ビザ(この時点では何かわかってない)もとれるらしいから
「日本語から英語に翻訳すればいいから、英語を話せるようになればいいやろ」
このぐらいに軽く考えていました。ここから大変な目に合うことも知らないので呑気です。
夫婦で海外移住をするのは大変?
ボクが1番心配したのは妻の反応。
- これから結婚するのに海外移住?
- 生活はどうする?
- 英語も話せないのに何考えてる?
- 友達もいてない
- 老後は?家は?子供は?
色々と反対されると予想していましたが、 自分が考えていることを話すとあっさり「いいんじゃない」と言ってくれました。
妻もアメリカのシアトルに8年間ぐらい留学してたためか、海外に行くことに難色を示すことは全くありませんでした。
むしろ彼女の方が海外に行くことを楽しみにしているようにも見えました。
夫婦そろって海外移住をするとなると、一般的には大きな問題になるかもしれませんが、うちの場合は特に問題なく決定しました。
オーストラリアを留学先に選んだ理由

あなたもどこかで、サンタクロースが半袖・半ズボンでサーフィンをしている写真を見たことはありますよね?
ボクのオーストラリアに対するイメージはこんな暖かくて、楽しいものでした。これが1番の理由。
でも真実は違ってた。オーストラリアって国土が広すぎて、国内でも気候が全然違うんですよね。
都会っぽかったからメルボルンを選びましたが、もうちょっと下調べをしておけばよかった。けっこう寒いんですよ。
外国移住の理想と現実
映画とか見すぎて、理想が高すぎたのかもしれません。朝にはHiってあいさつして、ハイタッチするような。
最初のうちは、とても楽しかったですよ。
とにかく一喜一憂していたのを覚えています。でも事実は違ったんです。こんな感じ。
最初の一年目は憂鬱でした。気分が上がらず、「何もしたくない。早く日本に帰りたい。」無意識に日本行きの飛行機の値段をチェックしているほど。

それでも学校に出席しなければ、強制帰国させられてしまうので、何とか無理やり登校していました。
嫌でしょうがなかった海外生活を支えてくれたのは妻。
生活費・学費のために最低賃金よりも安いレストランで一日の半分以上働いてくれたり、メンタル崩壊寸前のボクと一緒にいてくれたのは感謝です。
ボクが見つけた、最強のホームシック克服法は「あきらめること」英語の勉強が嫌になったら、ひたすらYouTubeで日本のテレビを見ていました。

オーストラリアで日本のテレビ見て何してるんでしょう
飽きるほど見たら次は「ちょっと勉強でもしてみるか」という気分になるものです。
それが2年・3年が経った頃には、何とか一人で外出しても問題なく家に帰れるようになっていたと思います。人間の適応能力にバンザイ!
オーストラリア留学で学んだこと

意思×費やした時間=結果
大げさに見えますが、結果を出すためには行動をしないとダメだなと学びました。
よく巷で言われてるやつです。でも言い換えると、今ここにいるのは自分の努力のおかげだと自信を持って言えます。
もちろん「家族や友人の支えがあって努力ができた」ということは言うまでもありませんが、理想を結果に変える根本の力は本人の努力以外の何ものでもありません。

こいつめちゃくちゃ自信家やん
とツッコまれそうですが、これに関しては自信があります。
そしてボクぐらい普通で、怠け者で、面倒くさがりの人間でも目的を達成できたので、きっとあなたもできます。
これも経験者だからこそ言える自信です。自分で選択した目的に到達することで得られる達成感と自信は大きな財産になりました。
そしてこの考えが、ブログを始めるきっかけになりました。
ブログを始めようと思ったきっかけは、助けてくれたブロガーさん

オーストラリア留学の前にはたくさんネットで情報を調べました。現地に住んでる人の生の情報がとても役に立ったんです。
だからボクもオーストラリア留学を考えている人に向けて
「今いる環境が全てではない。こんなに面白いことが他にもある。」
と伝えたいと思います。
長い自己紹介を読んでいただいてありがとうございました。
一言でまとめると「楽しそう」という単純な考えでオーストラリアに来ました。
以前は全然英語をしゃべれなかったボクでさえも、それなりに生活できるようになっています。
日本の優秀な看護師さん(お世辞ではなくオーストラリアにいると本当に感じる)なら留学をしても必ず成功させると確信しています。
ボクはこのブログが留学で悩んでいる看護師さんの助けになれるように頑張ります。
あなたもあなたの場所で目的に向かって頑張って下さい。
もし情報を集め始めて、心が折れそうになっている場合は[初心者]オーストラリアで看護留学!渡豪10年目の看護師が完全解説から、留学の1歩目に必要だと感じた情報をすべて、まとめてありますので参考にしてください。
質問があればツイッターまでどうぞ